2011/11/04

仮説



まあ、これでようやく宇宙の法則の全てが科学的に説明出来る。
質量で考えると、無限は最小で、最小は無限。
時間で考えると、始まりは終わりで、終わりは始まり。
事象はある域までは相対性理論で説明できるが、無限=最小となるポイントでは全ての事象は同値になり、相対性理論は矛盾する。

ようするに無限=最小となる次元と、相対性理論で説明できる次元が同居しているのがこの世界ってこと。
ニュートリノの速度実験ではそれが証明されただけで相対性理論が完全に破錠した訳じゃない。

ってか、神道やってりゃこれくらい簡単に分かる。
全ての物事は繋がっていて、自然も人も全てが同じ。
神は我が身の一部にあり、我が身は神の一部である。

キリストの神であるヤハウェが言っているアルパでありオメガってのと一緒。

神道の世界では「高(旧字)木を昇る」というんですが、これはヤハウェに近づくためのセフィロト(生命の樹)とも同じだと考えられます。
具体的には「欲や我を無くす」ことに終始する訳ですが、神道で言う「四つ足を食さない」というのは我を増さないためです。

また、神道には高レベルに修行をした者の中に「高(旧字を)木の裏に堕ちる」てしまう者がごく希に現れる。
高木の裏に堕ちとは、分かりやすく説明すると「因果が逆転した次元」を悟ってしまうこと。

神道では、創造三神世界を創ったろなっており聖書でも、始まりには、3。
3というキーワードが重要になる。
因=>果の世界、因=果の世界、因<=果の世界が合わさって世界を造っていることは神話からも分かると思うが、
神道においては因=果を悟る前に因<=果を悟るのは禁己心とサれており、先に因<=果を悟ってしまえば人では無い物に堕ちることになる。

つまり、物事の理屈が分かる前に全ての結果がわかってしまう。
これが聖書で言われる堕天使で、神に近づき堕ちた者



skMptApy0 & 水琴亭

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