2010/03/21

後ろの正面だあれ?

後ろの正面

とは、自分自身の心



かごめかごめの歌の解釈は沢山ある

その中の一解釈に神社を表した歌という説がある

最近、神社巡りをしている僕はなるほど素直に受け入れられる解釈である


以下、http://ameblo.jp/a-min123/entry-10354567560.htmlより抜粋

かごめの歌の意味解きをして見ます。


かごめかごめ 
かごのなかのとりは
いついつでやる
夜明けの晩に
つるとかめがすべった
後ろの正面だあれ


不思議な歌ですね。俗説では、心ない人によって、流産の歌とか言われたりしますが、そのような俗っぽいものでは、さらさらなく、ずいぶん古い時代から伝わっているもののようです。一説には天海僧正の作とも言われますが、もっと古いと言う説もあります。

もちろん、かごめと言うのは、籠目であり、籠は竹冠に龍。龍と言うのは伝説上の生き物ですが、現すのは、神聖な力であり、神や神社です。神社の手水場には、必ず龍がいますよね。さらに、古くは竹垣でわざわざ囲む建物や地は、神社など、神聖なもの、地でした。籠目は籠目紋であり、六芒星を参照して下さい。更に、しめ縄は龍や蛇の絡んだ姿を示しています。鏡餅もとぐろを巻いている姿の象徴です。この歌の現している物が、ぼんやりと分かって来たかと思います。

かごのなかのとりは、籠の中の鳥というのは、神社の中の鳥。不死鳥、つまり鳳凰ですね。とりではなく、とりい、鳥居と解釈する事も出来ます。いずれにしても、神社の事を示しているのは、明らかな感じがします。

いついつでやるは、いつ飛翔するのか。又は、いつ出現するのか。それとも、いっついである、一対である。ふたつあるの意味だとも取れます。

夜明けの晩は、夜明けと晩で、一日中。又は夜明けの暗いうち、深夜。人間の精神の高揚する時間。又は、日食。天の岩戸の伝説の話しと解釈する事も出来ますが、この話の大きさから言えば、大きな歴史的背景の夜明けとも言うべき時代の、晩のようなひと時、あるいは、いずれ夜が明けるような時代が来る前の、晩のような時代と解釈します。

つるとかめがすべった。つると亀は、二本足と四本足、赤ん坊から大人。又は天と地の象徴。肉体と空をかける精神の対比を現すなどが考えられます。すべったは転換した、反転したとも取れますが、統った(すべった)、つまり、統治したということです。この繋がりから、考えられることは、空のつる、地の亀、天と地であり、空間、物質界、俗世界を言っているのかも知れません。すると前の夜明けの晩と言うのが、時間を言っていますので、次の句のつると亀が空間を現しています。歌の構成としては有り得る話しです。

これらから言えることは、神社の中にいる偉大なものは、いつ出るんだろう。又は、その偉大なものは、一対の物だよということでしょうか。夜明けの時代の前の晩のような時代は、つると亀(空間、物質界の象徴?)が統治していたと、背景が示されています。これを踏まえながら、次の句の解釈を読んで見てください。

後ろの正面だれ
後ろの正面とは何の事でしょう。前後の反転です。

通常、神社には実は何もありません。鏡が祭ってあります。なんのことは無い。鏡に写った自分の姿を見て、自分自身が合わせ鏡の用になって、祈っているのです。後ろの正面だれ? つまり、自分自身だよって、言っているのです。祈る対象も神も自分自身の中にいると示しているようです。又はそれらは一対のものであると。鏡の不思議と秘密を参照。




ね~っ!?面白いでしょう!?
「かごめかごめ」については色々な解釈があるみたいで、これはこの方の
考察であるわけなんですが、スピリチュアルに興味を持ち出してから、
なんだか聞いたことのあるような内容がたくさんあって、
すごく興味深いな~!と、目をキラキラさせて読んでしまいました^^

で、実は、私が今回このブログで本当にお伝えしたかったことは、この文中にある、
「鏡の不思議と秘密」という文章なのです!!
それがこれです(一部抜粋)↓


鏡は不思議なものです。

人の顔の左右が反対になりますが、上下は反対には写りません。
本当は何が逆になっているか、分かるでしょうか。

それでは、実験して見ましょう。

鏡を北に置いて、鏡の面を南向きに置きます。
さて、北に向かって鏡を見ると、西には西の景色が写っています。東には東の景色が写っています。左右は反対ではないですね。そして、上には上の下には下の風景が写っています。
ここまでは、整合性が取れていますね。

ところが、北の正面(の鏡)には、(後ろの)南の風景が写っていますよね。

そうです。鏡は前後が逆転して、写っているのです。

ですから、鏡に写っている自分の顔は、後ろから透視して見た感じの顔なのです。又は、墨を塗った顔を紙に押しつけて作った版画みたいな物です。後ろの正面なのです。
ですから、見かけ上、左右が反対になります。しかし、本当のところは前後が逆なんです。





鏡に映っているのは、自分の「後ろの正面」だった!!
そしてそれを意図して神社には「鏡」が祭られている!!
ねっ?なんかちょっと興奮しちゃいません?(え?しない?)


私はこのブログでよく、この現実世界は全て「自分の内面を映し出す鏡である」
ということについて書いていますが、
もし、この現実世界という「鏡」も、上記の鏡の説明と同じ法則?が当てはまるのであれば、
この現実世界に映し出されているのは、自分の「後ろの正面」ということになります。


「後ろの正面」とは、要するに、「私」という「個性」があるとして、
その「個性」に表裏一体でくっついている、もうひとつの「個性」。。


「本当の自分」とは、自分が自分だと認識している「表の部分」と、
それとは相反するかたちで存在する「裏の部分(=後の正面)」があり、
それは自分ではなかなか気付けなかったり、
自分ではなかなか認めることの出来ない部分なのかもしれません。
その表と裏の部分が表裏一体(いっつい)となっていることを自分自身で認め、
両方とも受け入れることが出来て初めて、「本当の自分」になるのかな。。